皆様、ご機嫌いかがでしょうか!今回も懲りずに、多くの人々に愛される国民的バンド「スピッツ」の名曲『惑星のかけら』について、少しばかり深く掘り下げて考察してまいりたいと思います。
スピッツと聞くと、「優しい」「爽やか」といったイメージをお持ちの方も多いですよね。
しかし、彼らの楽曲の中には、時にハッとさせられるような危うさや感情の深い機微が隠されていることがあります。『惑星のかけら』は、まさにその代表的な一曲と言えるのではないでしょうか。
この曲の歌詞、サウンド、そしてタイトルに込められた意味を考察することで、きっとこれまでとは違う魅力が見えてきたり、うすうす感じていたけど言語化できない引っかかりが解消できたりするかもしれません。ぜひ、最後までお付き合いください。
1:甘美な夢と背徳の蜜──歌詞に潜む“歪み”を読み解く
まずは歌詞から見ていきましょう。この曲の冒頭には、まるで幼い頃の夢の世界に迷い込んだかのような、幻想的で無邪気な情景が描かれています。
「知らないふりをしていたんだ君の夢を覗いたのさ」
「二つめの枕でクジラの背中にワープだ!」
「ベチャベチャのケーキの海で平和な午後の悪ふざけ」
いかがでしょうか?なんともロマンチックで、どこか懐かしさを感じるような描写ですよね。「クジラの背に乗る」と聞くと、童話『くじらぐも』を思い出したりもします。
まずここで注目したいのが、「君の夢を覗いた」。
“覗く”。許可なく、こっそりと。相手の最もぷらいべーつな、そして最も守りたい領域へと、足を踏み入れるような、背徳感にも似たスリルがそこにはあります。
相手のすべてを知り尽くしたいという、純粋でありながらも、時に一線を超えてしまうような強めの執着の現れなのではないでしょうか。
また、「ベチャベチャのケーキ」という言葉。なんで「ふわふわのケーキ」ではないんだ?と。
「ふわふわのケーキ」は、完璧で理想的なあま~い夢を連想させますが、「ベチャベチャ」という表現からは、完璧でない、崩れた、あるいは現実離れした夢の存在が感じられます。
まるで、子どもが夢中になってケーキを食べ散らかした後のように、無邪気さの裏にある奔放さや、少しばかりのカオスを表しているのではないでしょうか。
この「ベチャベチャ」という言葉にこそ、単なる甘さではない、この曲のリアルな人間味が象徴されているように感じます。なにごとも理想通りにはいかないものです。
そして次、特に強烈な印象を与えるのが以下のフレーズです。
「僕に傷ついてよ」
「君から盗んだスカート」
⋯⋯おっと。いまなんて言った?ってなりませんでしたか?なんとも危険なフレーズです。
「二つめの枕」の考察もここに繋がってきます。
この「二つめの枕」が、相手のお部屋にある枕のことだとすると、どうでしょうか。語り手は相手の部屋に忍び込み、ベッドに置かれた枕をみて「自分ちの枕を一つめの枕とすると、――この枕は二つ目だ!」と。
恐る恐るそのベッドに横たわって、目を閉じて、「この子の夢を覗けるかなぁ」なんて思っている⋯⋯と考えると、ゾクゾクしますね。
そして、「盗んだスカート」は、その時に相手の部屋から拝借したものかもしれません。相手の最もパーソナルで、女性性を象徴するアイテムをゲットすることで、その存在そのものを自分のものにしたいという、狂おしいほどの支配欲と渇望を感じさせます。
そして「鏡の前で苦笑い」という続きの描写が、その行為の危うさや、ある種の罪悪感を自覚している、語り手の複雑な心情を浮き彫りにしています。
つづいて「オーロラのダンスで素敵に寒いひとときを」というフレーズ。この「素敵に寒い」は、履き慣れていないスカートのスースー感からくる異様な高揚感と、秘密めいたその行為が持つスリルを表している絶妙なワードです。
2:幼さと切実さの交錯──「僕」の願望と「君」の存在
そして、この曲の最も核となるのが、サビで繰り返される「骨の髄まで愛してよ 惑星のかけら」「骨の髄まで愛してよ 僕に傷ついてよ」という言葉です。
これらのフレーズは、まさに相手への強烈な願望そのもの。
ここで注目したいのは、語り手からは何も差し出していない点です。まるで、純粋な子どもが「僕を一番見て!」「僕に全部ちょうだい!」と、ストレートかつエゴイスティックに求めるような側面が前面に出ているんです。
しかし、この一見幼く見える願望の裏には、とてつもない深い愛情が潜んでいるのかもしれません。だからこそ、表面的な愛では満足できず、「骨の髄まで」しゃぶり尽くしたいほど、相手を深く愛し、そして、相手の存在そのもので自分を突き動かしてほしいと願っています。
「僕に傷ついてよ」。
もしかすると、過去に相手から傷つけられた経験があり、それに対する「やり返したい」という感情を吐露しているのかもしれません。
ですが個人的には、これはもう、通常の愛情表現とは真逆を行く、究極の問いかけと捉えています。
表面的な優しさなんかじゃ満たされない。痛みだとか葛藤だとか一切合切ぜんぶを共有することでしか得られない、剥き出しの人間関係、あるいは、弱さや醜さもすべてまるまる受け入れた上での、生々しいまでの深い繋がりを求めている。
傷つくことすら厭わない、それほどまでに相手との結びつきを深めたいという、切実でありながらも、時に倒錯的にも思える願望が、このセリフには込められているのではないでしょうか。
こういったサビの幼さと、そこからにじみ出る切実な感情のギャップこそ、『惑星のかけら』の大きな魅力の一つだと思います。
3:なぜ「惑星」なのか?──恒星・衛星との対比に見る「僕」という存在
さて、歌詞が持つ“ヤバさ”に震えながら、次はタイトル『惑星のかけら』に目を向けていきましょう。
「惑星のかけら」⋯⋯この言葉の響きから、皆様は何を感じますか?
広大な宇宙に浮かぶ、とてつもなく巨大で、そして重い「惑星」。それに「かけら」という言葉が付されています。この対比がまず、この曲に独特の妙味を与えています。
惑星は、その巨大な質量で宙に浮いている。これって、語り手の心境そのものじゃないでしょうか。
「なんかフワフワと夢見心地で、現実に足がついてないんだけど⋯⋯心の奥底には、どうしようもないほどの感情の“重さ”があるんだよな⋯⋯」
そんな複雑な思いが、絶妙なワード変換を経て曲を冠している。そんな気がしてきませんか?
また、ここであえて「惑星」という言葉に立ち止まって考えてみるのも悪くありません。
宇宙には、自ら輝く「恒星」、そして惑星の周りを回る「衛星」がありますよね。その中で、なぜ「惑星」が選ばれたのでしょうか?
恒星は、自ら光り輝き周りの天体を従える、圧倒的な存在。衛星は、主たる天体に引っ張られながら、その周りを回り続ける従属的な存在です。それに対して「惑星」は、自ら光ることはありませんが、自らの軌道をもち、恒星の周りを堂々と公転する独立した存在です。
これは、この曲の語り手である「僕」の立ち位置を象徴しているように思えてきます。 語り手は、「君」相手に強い執着や願望を抱き、時に危険な行動にも出ますが、決して相手の「衛星」としてただ回り続けるわけではない。また、相手を照らす「恒星」のように、常に与える側でもない。そうではなく、自分の軸を持った独立した存在として、愛する「君」という「恒星」の周りを、時に歪んだ軌道で、必死に回り続けている。そんな「僕」の姿が、「惑星」という言葉に込められているのではないでしょうか。
4:浮遊する“重み”と壊れた“未完成品”、そして“謎”──「かけら」が語る真実
そして「かけら」です。この「かけら」には、大きく3つの意味が込められていると私は考えています。
1つ目は、これまで考察してきた通り、未完成であること。要するに“不足”です。語り手は、完全な「惑星」ではなく「惑星のかけら」であるがゆえに、何かを求めている。人との深い繋がりを通して、自分をもっと大きな存在へと完成させたい。 そんな切実な願いが、「骨の髄まで愛してよ」という叫びとなっている、という解釈です。
2つ目は、壊れちゃったから「かけら」なのではないかという捉え方。もしかすると、語り手自身あるいは彼が大切にしていた何か、あるいは人との関係性が、過去に壊れてしまった経験があるのかもしれません。その破壊の痕跡が、今も「かけら」として残っている。だからこそ、その壊れてしまった部分を、もう一度満たし、つなぎ合わせたいという、痛々しいほどの願いが込められているのではないでしょうか。
そして3つ目。歌詞の最後に登場する「謎のかけら」についての考察です。これは、自分自身の内側にある、まだ全貌を把握できていないけれど確かに存在する、そういった類の感情や衝動。その「謎」に突き動かされている、という探求の姿勢が、この「謎のかけら」という言葉に込められているのではないでしょうか。その探求の方向性に、そこはかとないヤバみを感じるところではありますが⋯⋯。
さて、こうしてみると、「惑星のかけら」は文字通り隕石のように思えてきます。
惑星が何らかの衝撃で砕け散り、その一部が宇宙を漂い、やがて落下してきた隕石。とてつもない距離を超えて、存在するのかどうかも分からない目的地へと向かっていく。
隕石は、燃え尽きながら、傷つきながら、地上へと衝突します。そして、衝突した場所には大きな穴を残します。
つまり「惑星のかけら」は、ただ浮遊している未完成な存在であるだけでなく、一度は壊れ、しかし強烈な引力に引き寄せられ、必死に「君」の元へたどり着き、そこに確かな傷を残そうとする、「僕」という名の魂そのものなのかもしれません。
5:感情の“重さ”と“不安定さ”──サウンドが織りなす世界観
そして、ここまでの感情の機微を完璧に表現しているのが、まさにサウンドなんですよね。
特筆すべきは、ギターのディストーションでしょう。この音色は、歌詞に潜む歪みや、語り手の切実さを音として表現し、我々に感情の深さを強く訴えかけてきます。
単に優しいだけじゃない、荒々しい情念が、その音色に凝縮されていますよね。まるで、心の奥底で燃え盛る激しい感情が、そのまま音になったかのようです。
さらにドラムです。小節あたまのバスドラムのキックが、8分ではなく16分で細かく刻まれていることに注目してみてください。これがまた、この曲の危うい魅力を決定づけているように感じます。 ゆったりと落ち着いては進むことができない、あやうく躓いて転んでしまいそう、はては、一度転んだら転がり落ちていって止まれなくなりそうな、そんな不安定さが表現されているところかと思います。
そして、ラスサビで加わる神秘的なコーラスは、まるで宇宙空間に響き渡る聖歌のようです。これが、個人的な感情を宇宙的なスケールにまで広げ、曲を聴く我々の心をどこまでも連れて行ってくれる。 歪んだギターと高速ドラムが生み出す混沌の中、一筋の光が差し込むような、感動的で畏れをも感じられる瞬間です。
まとめ:スピッツの真骨頂──名曲はかく語りき
いかがでしたでしょうか。ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。ちょっと長くなりすぎちゃったかもしれません。
『惑星のかけら』が、心を揺さぶる魅力に満ちた楽曲であることが、皆様に伝わったのであれば幸いです。
ヘビーなサウンドが心の奥底にある感情を表現しつつ、スピッツならではの美しく耳に残るメロディーがその重さを優しく包み込み、そして深遠な歌詞が人の感情の複雑さ、そして究極の愛の形を問いかけます。
これらの要素が絶妙に絡み合い、互いを高め合うことで、スピッツにしか生み出せない唯一無二の名曲が誕生したのでしょう。
さあさあ、もう一度この『惑星のかけら』を聴いてみてください。これまでとはひと味違う新たな発見があるかもしれません。
この曲を聴くたびに、皆様の心にも新たな「惑星のかけら」が降り注ぎますように!
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