皆様、ご機嫌いかがでしょうか?
今回は、私とインターネット、いや、もっと言えばパソコンとの出会いから、今日に至るまでの、なんとも数奇な運命を辿った半生について語らせていただこうと思います。
ええ、実は私、つい最近まで、デジタル世界の“お客さん”でしかなかったんです。それが、ひょんなことから作る側に足を踏み入れることになりましてね⋯⋯。これが、もう、とんでもない大冒険の始まりだったんです。
第1章:始まりは祖父の書斎から〜Win95とチンギス・ハーンの衝撃〜
私のデジタルロードの原点は、祖父の書斎にありました。初めてパソコンというものを認識したのは、あの懐かしきWindows 95が鎮座する、祖父のデスクの上です。
祖父はよくそのパソコンで「エイジ オブ エンパイア」というゲームをやったり、真剣な顔で囲碁ゲーをしたりしていました。当時の私は、囲碁のルールなんてチンプンカンプン。「おじいちゃん、何やってるんだろう?」と首を傾げるばかりでした。
しかし、「エイジ オブ エンパイア」は違いました。
画面の中で繰り広げられる壮大な歴史絵巻に、幼心ながらに惹きつけられました。ですが、戦略や戦術という概念を知らない私は、チンギス・ハーンを大量に配置して、他の国を次々と滅ぼしていく、というちょっとおバカな遊び方ばかりを繰り返していました。今思えば、なんと野蛮な園児だったことか!でも、あの頃の私は、画面の中で世界を支配する全能感に、すっかり魅了されてしまったのでした。
これが、私がデジタル世界の入り口に立った、最初の消費者体験でした。
第2章:フラッシュ倉庫の魔力〜小学生時代のデジタル遊戯〜
時は流れ、私が小学生になった頃、世間では「フラッシュ倉庫」なるものが大流行しました。なんだか怪しげな響きですが、当時は多くの子供たちが、そこで公開されているFlashアニメーションに夢中になったものです。私もご多分に漏れず、何も知らない友人に「ウォーリーを探さないで」をやらせる、なんてことをしていた記憶があります。
特に好きだったのは、「ナイトメアシティ」と呼ばれる一連の作品です。
曲が流れて、アニメ調になったAAキャラクターたちが戦う系のFlashで、見ていて本当にワクワクしましたね。あの躍動感と、ちょっとシュールな世界観がたまらなかった。今見てもかっちょいいですね。
一方で、「ピンポンダッシュ」という、これまたフラッシュ倉庫の有名な作品もありました。これがもう、本当に怖かったんですよ。でも、ビビりながらもついつい最後までやってしまう。あのスリルと不気味な雰囲気が忘れられません。
この頃も、ひたすら面白いものを探し求める、生粋のデジタル消費者として生きていたわけです。
第3章:DSiの片隅で雑誌創刊!?〜広がる創作活動の舞台〜
さらに少し時が経ち、(誕生日プレゼントにねだりまくった結果)私が手にしたのはニンテンドーDSiでした。
パソコンは家族で共有のものを使っていたし、ゲームボーイアドバンスも、ゲームキューブも、SPも、無印DSもすべて兄のモノだった⋯⋯けど!ビビットにかがやくピンク色のDSiは正真正銘、私のモノ。
そしてなんと、このDSiには「うごメモ」というアプリケーションが入っていました。
うごメモは、手軽にアニメーションやイラストが作れるツールでしたが、私はそれをまさかの雑誌に見立て(そもそも「雑誌」といううごメモのジャンルがあったような気もしますが)、短いマンガやイラスト、ちょっとしたコラムのようなものを描いていました。最盛期には「読モ」なる人材を募集して、オキニのアクセやら最近みた夢やらなんやらを訊いたアンケート原稿を集め、雑誌にまとめて載せていました。
「これが私の雑誌だ!」と、一人悦に入っていたものです。
今振り返ると、とても稚拙なものだったと思いますが、あの頃の私にとっては、まさに自分だけのメディアを生み出す、とてつもない創造体験だったんです。
⋯⋯とはいえ、この時もまだ、誰かに見せるためというよりは、自分が楽しむためのおもちゃを作っている感覚でしたから、根っこの部分はバリバリの消費者だったんだと思います。
第4章:ハムスターとアメブロと「HTML?なにそれ美味しいの?」な日々〜黒歴史とコミュニケーションの世界〜
DSiのうごメモに熱中していたのと同時期に、私のネットライフはさらに広がりを見せました。まずは、「アメーバブログ」です。ここで私が書いたのは、ハムスターとの会話形式のブログでした。
その頃、実際に飼っていたハムスターが、まるで本当にしゃべっているかのように、日々の出来事について語り合う⋯⋯。しかも、そのハムスターのセリフ、「〇〇でしゅ!」という、今考えると結構恥ずかしい語尾で書いていました。まさに、デジタル世界の黒歴史です。
この頃の私は、まだ「HTML?なにそれ美味しいの?」(こういう言い回しありましたよね)という状態でした。アメブロには、文字の色を変えたり、リンクを貼ったりといったことができるタグを使って書く機能があったことは、なんとなく覚えているんですが、その記号の羅列が当時の私には異世界の呪文のように思えて、「なんだか複雑そうだから、触らないでおこう!!」と、完全にスルーしていました。
ともあれアメブロというプラットフォームは、その頃の私にとって、自分の中のアイデアを形にする大切な遊び場でした。
そして、「アメーバピグ」では、うごメモで知り合った同年代の子たちと遊んでいました。ピグの広場で待ち合わせして、アバター同士でチャットしたり、ゲームをしたり。まさに、デジタル世界での秘密基地のような場所でしたね。
さらに、「ふみコミュ」や「キャスフィ」といった掲示板サイトもよく利用していました。匿名で色々な人と交流したり、自分の興味のある話題について語り合ったり。今では当たり前になったネット掲示板ですが、あの頃は、見知らぬ誰かと文章で繋がれることに、なんだかすごい可能性を感じていましたね。
⋯⋯ええ、そうなんです。この頃も、相変わらずネットの海を漂う一介の消費者だったわけです。
第5章:人生最大の転機!〜社長の一言で、私は「作り手」になった!〜
さらに時は経ち、気がつけば私は社会に放り出されていました。そんな主体性の欠片もなかった私に、まさに青天の霹靂とも言うべき出来事が訪れます。それは、前の会社でバックエンドのエンジニアとして働いていたある日のことでした。依存性を注入(※)している私のデスクへ社長がやってきて、こう仰ったんです。
「ねぇ、うちの会社のウェブサイト、作ってくれる?」
⋯⋯え? 私が? Webサイトを?当時の私は、もちろんWeb制作なんて、まるで知識がありませんでした。普段はただネットを見て楽しむだけの、生粋の“お客さん”だったんですからね。それこそ、あの「HTML?なにそれ?」状態のままです。
「え、ええと⋯⋯」
と、しどろもどろになる私に、社長はニヤリと笑って一言。
「よろしくね。ちょっとできたら見せてね」
この、なんとも無責任⋯⋯いや、「信じられている」と感じさせる一言が、私の人生を大きく変えることになったのです!
そこからの私は、まさに無我夢中でした。右も左も分からないながらも書籍を読み漁り、ネットで調べまくり、まるで砂漠でオアシスを探す旅人のように、Web制作の知識と技術を貪欲に吸収していきました。あの時ほど、脳みそがフル回転したことはなかったかもしれません。
そして、試行錯誤の末、ついに会社のWebサイトを完成させた時の達成感たるや! それはもう、チンギス・ハーンで世界を滅ぼした時以上の全能感でしたね!
終章:デジタルロードは続くよ、どこまでも〜消費者から作り手へ、そして未来へ〜
祖父のWindows 95から始まり、チンギス・ハーンを量産し、フラッシュ倉庫で震え、DSiで雑誌を作り、ハムスターと会話し、ピグ友と戯れ、掲示板で語り合った⋯⋯。
そんな生粋の消費者だった私が、社長の一言というひょんなきっかけで、まさかWebサイトを作る側の人間になるなんて、人生って本当に面白いものですね!
あの時、社長に頼まれなければ、私は今もWebサイトをただ“見る”だけの人間だったかもしれません。しかし、その一言が、私の新たな扉を開いてくれたのです。
技術は急速に進化し、あの頃のツールはもうほとんど使われていないかもしれません。でも、あの時の「面白い!」という純粋な気持ちや、「もっと知りたい」「もっと作りたい」という探求心は、消費者だった頃も、そして作り手になった今も、私の中に脈々と息づいていると信じています。
これからも、このデジタルロードを、一体どこまで歩んでいくことになるのか。私自身、楽しみで仕方ありません。
さて、皆様のデジタルロードは、どこから始まりましたか? そして、ひょんなことから作り手になった経験はありますか? よろしければ、皆様の物語もどこかで聞かせてください!